「二十五二十一」イジンの沼が深すぎる

はい。沼から抜け出せません。「二十五二十一」。

 

前半は、ごく普通に視聴していましたが、

中盤から、一気にマイ評価が劇的急上昇。

そして、12話~14話あたりで、生活に支障がでるほどの沼。

そして15-16話は、もう受け止めきれずに、廃人となりました(笑)

 

もともとメッセージ性の強い作品に惹かれる傾向がありますが、コロナ禍の辛さや、夢をもって生きていくことの難しさを、98年のIMF時代にさかのぼって重ね合わせる発想がいいな思いました。

 

IMF時代の誰のせいでもないのに、幸せになることすら罪になってしまう青年と、まっすぐな少女。

心の深い部分で、まさに魂のレベルで結ばれて互いに高め合っていく過程が、とても清らかで、尊さ、崇高さ感じました…。

 

でもこの関係が、儚く刹那のものであることが、わかっているので(結末チラ見せパターンのせいでw)・・・より愛おしく思えて、見守ってしまったのだと思います。

 

 

最初から「お母さんの昔の恋物語」として進んでいきます。

 

でも、わかっていても・・・「これからどうなっていくんだろう」と見ている側の想像を掻き立てられるストーリー展開でした。ふと、「ミンチェって、だれの子?」という疑問もわいてきて・・・はじめて電卓叩きながらドラマを観てしまったではないですか~!

 

あの時のあのシーンでは、「すでにミンチェを生んでいたのか!」と、電卓の数字をみて、愕然~。

 

結果を受け入れるのには、かなりの時間がかかりましたが、頭ではこのように整理するしかありません。

 

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その瞬間だけ切り取ると、それが人生のすべてのように思えるけど、長い人生のなかでみれば日記の数ページにすぎない。いい思い出は人生をより輝かせる糧にもなるし、実際に、ヒドもイジンも夢を叶えて次のステージにいけた。

恋愛はサッドエンディングでも、人生はハッピーエンドなんだ、と。

 

「41歳のヒドが幸せに見えない説」については、

あれはもう、演技力の問題では?

(失礼ながらwww)

 

だって、「自分と同じ体験を娘にもさせたい」ってナレーションが入っていましたから。

 

自分が過去を納得していて、いまの自分を肯定していなければ、

あのセリフは出てこないと思うのです。

 

せめてイジンが吹っ切れている様子が描かれていれば、まだ救われましたが、

あえていえば、それがいちばんの心残りですね。

 

あのルックスのトップキャスターです。

モテないわけありませんから~!

 

最後の最後に、イジンがパスワードの初恋の名前にヒドと入力しているシーンがありましたが(しかも、「恋愛ワードを検索してください」のバロだった)

ごめんなさい、あれ、いらん~って思っちゃいました。

イジンひとりだけ引きずってる感があって、余計につらいです(涙)

せめて、デスクに幸せそうな結婚写真でも飾っておいてくれれば、よかったかな。

 

 

ついでに、わたしがこのドラマを名作入りに決定づけた瞬間は、こちらです。

 

7話の食堂のシーンです。

となりのお爺さんたちが、ヒドの苦労をねぎらうシーンをみたときに、私は勝手にこのドラマを第二「マイディアミスター」と名付けました!!(鼻息)

 

イジンが「絶対に幸せになりません」と誓ったおじさんが、のちに「幸せになりなさい。」と、彼の心の重荷を外してあげるシーンもありましたが、迷える世代の子たちを苦しめるのも大人や社会。

でも、手を差し伸べて救ってあげらるのも、大人や社会のほんのちょっとした一言なんだな、と実感させられるシーンです。

 

恋愛以外の要素もたくさん散りばめられていたからこそ、深いドラマになったのでしょう。

 

また、先日、チェッコリのトークイベントでもお話ししましたが、

人間関係の距離、恋愛の距離感が全体のキーワードになっていたと思います。

 

「トンネル」も距離、時空、時間を象徴していましたし、何よりも印象的だったのは、

「ポケベル」や、当時流行り出したばかりの「ケータイ」。

当時の「恋愛の距離感」がとても巧妙に演出されていました。

 

スマホが発達した現在は、「すれちがい」や「会えなくて恋しさ募る」という感情をドラマで表しにくくなってきています。

それを20年前の恋愛にすることで、とってもクラシカルな、生身の男女らしい心の機微を描きだしていたなというのも、心に響く要因だったと思います。

 

結末に関しては、見た人の数だけ、感想があると思います。

久々に、語りたくなるドラマに出会えて、よかったです。